まるしん's diary

丸山伸一のブログです。日常の出来事(主にプライベート)、読書・映画評などを綴ります。

『荒神』(宮部みゆき、朝日新聞出版)~最近読んだ本

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 2014年10月4日読了

 時代は元禄、陸奥の国の永津野藩と香山藩は、かつては主従の関係にあったが、関ヶ原の戦を機に、いがみ合うようになる。永津野藩の重臣、曽谷弾正は、山間部で養蚕業を起こすなど財政の立て直しに手腕をふるう一方で、「牛頭馬頭(ごずめず)」とよばれる黒面をつけた武装集団を率いてたびたび香山藩領土を侵犯、村人を連れ去って酷使したり殺害したり、貪欲非情な圧政を敷いていた。

 

村人を食う怪物の正体は

 その香山藩の山村で、村人の逃散(ちょうさん)が起きる。あとには大量の血痕と放火の痕。難を逃れた武士・直弥、少年・蓑吉らは後に、“怪物”が暴れ回って村人の大半を食い尽くしたことを知る。片や永津野藩では、弾正の心優しき妹・朱音(あかね)が山中の砦を視察に出かけるが、怪物が次に狙ったのは、香山藩と隣り合わせのこの砦で人を食うことだった。

 

 小山ほどもある図体、ぬるぬるしていて周囲に合わせ色を変える皮膚。刀も鉄砲も効かない。トカゲ、ガマ、ヘビ様と体型は次々変化し、驚異的速度で動き回る。口から吐く唾液のようなものをかけられると、人間は焼けてしまう。先が二つに裂けた尾と長い舌を使って人間をなぎ倒し、片っ端から食らう。食って食って、腹いっぱいになると、それを一気に吐き出し、また食らう。すさまじい臭い。

怪物はなぜ生まれたかを知り、最後のたたかい

 こんな化け物が、実は人間の貪欲から生まれたものだと、ようやく理解するに至って、朱音、直弥ら主人公たちは、呪文を体に、化け物との最後の勝負に出る。貪欲とは、たとえば為政者が、敵対する藩の兵士を殲滅するための殺戮兵器として欲した怪物であるとか、あるいは弾正と朱音きょうだいの「業」に原罪があったと思わせる部分であるとか…。ネタバレなので、このくらいにしておこう。ただ、「主体なき欲望の器」(朝日新聞掲載、水無田気流氏書評より)とされる化け物「つちみかどさま」が、どうやって現実の世界に姿を持って現れたのか、そして現実の人間の命を食い尽くしたのかという論理的説明が足らず、釈然としないものが残った。

 このほか、ちょっとだけの登場人物の描写がやたらと詳しかったり、主要人物が、敵対しているはずの互いの領土を行ったり来たりし、双方の領民と新たな信頼関係を築いたり、冗漫さを強く感じるところもある。本小説が2013年3月から14年4月まで朝日新聞に連載された新聞小説であることを考えると、それもやむを得ないのかもしれない。

 

「ペテロ」で裏切られたが、さすが宮部ワールド

 宮部みゆきの筆力、歴史考証、時代の雰囲気の描き方のうまさには、いつもながら感心させられる。だが、本書はなにかがちょっと物足りない。やはり「1年365日」の新聞小説を念頭に置かず、単行本向けに自由に書いた方が、構成、テンポ、文章、山場の設定などで宮部の良さが発揮できたのではないか。


 上記書評の水無田氏は、最後に「本書のゲーム化を待望する」と書いた。もともとゲームはしないが、化け物が人間を食い散らかし、それを侍や少女、少年が友情と知恵で打ち負かそうとドンパチを繰り返すだけのゲームなら100%、ボクは手に取ることはあるまい。人間の貪欲さ、肉親の業、敵愾心、権力意識、自己犠牲、そうした内面をロールプレイに醸し出せるほど、ゲームの世界は進歩しているのだろうか。