まるしん's diary

丸山伸一のブログです。日常の出来事(主にプライベート)、読書・映画評などを綴ります。

『東京自叙伝』(奥泉光著、集英社)~最近読んだ本

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 2015.2.20読了。最近読んだ本の中では一番インパクトがあったように思う。ネット上の書評で見つけた「怪作」という表現がぴったり。

 

「多重」ならぬ「多在人格」の「東京の地霊」が主人公

  主人公「私」は、太古から東京に棲みつく「地霊」だそうだ。時空を超えて何にでもなる。時には地下にうごめく鼠、漱石の猫など動物や虫にもなるが、地震や火事などをきっかけに、突然人間としての自分に覚醒する。ちゃんと名前もある。 

 この小説では、維新期の侍や戦時下の軍人、戦後混乱期の暴力団員やフィクサー、バブル期にはジュリアナ東京で踊る絶世の美女などにとり憑いた6人の「私」の記憶が、ほぼ年代順に語られる。その間も、ちょっと前はジョン・レノン三島由紀夫にもなるし、近年では「3.11」で爆発した福島第一原子力発電所の深奥部で働く作業員にもなる。やたら変わり身が激しい。

 

原発作業員、秋葉原事件のK、無差別殺傷事件の犯人…

 終章は、その原発労働で精神を病み、東京に戻ったところで「秋葉原事件」のKだったことを思い出し、さらに1980年以降に起きた新宿西口バス放火事件、深川や池袋の通り魔事件、地下鉄サリン事件などの犯人もすべて「私」だったと覚知するなど、もうハチャメチャだ。しかし、誰になろうとも、その時代のアンダーグラウンドブラッキーな側面を刹那的、退廃的に、そしてテンポ良く語る。「ですます調」と「である調」が混在する語り口も、馴染んでしまえば心地よい。 

 「読買新聞」社主の「正刀杉太郎」なる人物が出てきて、米国GHQやCIAと内通しつつ「ニッポンテレビ・マイクロウェーブ放送網」の構築を目指したり、後に「原理力発電の父」と言われるゆえんの、米国からの原発輸入を実現させたりするくだりは、リアル過ぎてドキドキした。ここでは「私」は、その正刀を影で支えるフィクサーたちの1人。

 

「東京人はみんな私」が結論

 結論は「東京人はみな鼠人間だった」であり、「東京人はことごとく我(=「私」)なり」だ。時代や人が変わっても、要領がいいのが東京人で、他人を裏切り陥れておいて、最後は「あれでよかった」「仕方なかった」とつぶやく無責任な連中だ(「私」の生き方もそうだ)と断じる。近い将来、原発の爆発で放射能を浴びた東京は廃墟と化すだろう、そのとき生き残るのは鼠…、つまり「私」だという。

 

「黒幕史」のオマージュだろうか

 なんとも奇想天外、荒唐無稽な展開で、SF小説、推理小説の香りもする。一方でえらくシリアスな印象が残るのは、ベースに「私の昭和史」(末松太平)、「ノモンハンの夏」(半藤一利)、「黒幕 昭和闇の支配者」(大下英治)、「原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史」(有馬哲夫)、「ヤクザと原発」(鈴木智彦)など、歴史の表裏を書いたノンフィクションを敷いているからだろう。巻末参考文献にある。 

 人を殺しても「マアあれは仕方なかった」で片付けてしまうところや、自分は殺される直前に別の人や鼠などに乗り移ってしまっているところなど、ご都合主義もマア散見されるが、概して「私」の悪行、変身、変節にはどれも理由があるように思えてくるから不思議だ。奥泉光(1956年、山形県生まれ、「石の来歴」で芥川賞)の文章力に脱帽。一気読み必至。たびたび「あはは」と笑わされる。