2年ぶりの涸沢 2014.8.22~23
今夏は、ほんとうに雨が多い。それも週末に集中して降る。嫌になる。
豪雨の予報で直前に中止したり、出かけてはみたもののやはり悪天候で引き返したり、登山計画は台無しになってばかりだ。平地でのゴルフさえも5回に4回は、傘ではどうにもならないくらいの大雨に見舞われている。完全に「雨男」と化している。
6人で涸沢から奥穂高岳を登ろうと
そんな中、2年ぶりに北アルプスは涸沢、奥穂高岳(3,190m)を目指した。同行者は、いつものディー・カッツェ山岳会のメンバー2人(A班)と、最近一緒に山に行き始めたDテック社の3人(B班)。計6人の内訳は女性3人、男性3人である。
A班は沢渡まで車で入り、タクシーに乗り換えて上高地に到着した。B班は前夜、新宿を出た上高地直行の夜行高速バスで先に入っている。早朝の上高地は、これまでのうっぷんを吹き飛ばすような青空。絶好の登山日和。ラッキー!! 上高地から見上げる穂高岳の雄姿に、心底ほっとする。
横尾までのなだらかな道、一転、本谷橋から先の急な登り。A班は本谷橋で、昼食をとっていたB班の3人を含むD社隊(11人)に追いつき、追い抜いた。
ようやく涸沢が見えた
一歩一歩、いつもと同じ苦しさを味わいつつたどり着いた涸沢は、大きな雲はあるが晴天。心地よい風。穂高の稜線もくっきり見えている。下の写真は涸沢岳をバックに、顔をほころばせるA班の3人。その下の写真は、ヒュッテで生ビール(800円)を飲み、いい気分でテン場へ散歩に出たボクである。だらしない格好で申し訳ない。
例年のこの時期に比べると、極端に人が少ない。テン場を見ても、ガラガラだ。せっかく涸沢音楽祭の開催日だというのに。そういえば、ボクらが到着した午後3時、ちょうどオープニングのファンファーレが鳴り響いていたっけ。
偶然、後輩記者と出会う
あまりの偶然に驚かされたことがあった。読売新聞東京本社の時代に後輩だった女性記者、Mさんが、長野支局に赴任してきていて、たまたまこの日、涸沢ヒュッテに宿泊しながら音楽祭の取材をしていたのだ。
小屋の前で会い、「久しぶりだね」と握手。Mさんが「私の関係者」として手配してくれたおかげで、ヒュッテの特別室(2段ベッド8人部屋)に招き入れられ、寝ることができたのはこれまたラッキーだった。
夜は室内で音楽祭を楽しみ、外で満天の星、天の川を仰ぎ見る。
天候にらみながら奥穂高岳へ出発
翌日は午前4時半起床。奥穂高岳をめざし出発したが、案の定、小雨がぱらついたり、ガスが激しく上下して稜線を覆い隠したり、不安材料が多い。ザイテングラード取付き付近まで1時間半登ったものの、結局、涸沢に引き返した。
↑ 引き返す直前の奥穂アタック隊。悔しそう。
上級者向け(!?)のパノラマコースを下る
朝食(ヒュッテの弁当)をとり、午前8時半、パノラマコースを選んで下山にかかる。歩き出した途端、大粒の雨が落ちてきて、ほぼ2時間あまり、レインウェアを着込んでの行動。
パノラマコースは、前穂高岳から続く北尾根の下部岩壁をトラバースする格好で作られた細い道。足を滑らせれば、転落である。ヒヤヒヤしながら岩場、倒木の道を上り下りして進む。
屏風ノ耳、屏風ノ頭の手前のコルからは、今度は膝が笑う長い下りだ。
広範なお花畑と、そこに乱舞するアサギマダラに目を奪われながら、飽きるほど下って午後1時30分、新村橋に到着した。
6人で昼飯にカレーを食べた徳沢園に、この日B班の3人は泊まる。ボクらA班3人は、そのまま上高地まで歩き、タクシーで沢渡へ戻った。タクシーの運転手の「今年は山の観光客が極端に少ない。雨のせいだね。そもそも松本にタクシーが700台もあるが、1年の半分は客が乗らない時期。もうすぐ暇な毎日が来る」のボヤキが印象的。
いつもの「小仏トンネル先頭に…」が出た
午後5時半ころ、沢渡の駐車場から車を出したが、日曜日だけに「小仏トンネル先頭に30キロ渋滞」は健在で、立川到着が10時、ラーメン店で軽く打ち上げをし、泉岳寺に帰ったのは午前零時近かった。