まるしん's diary

丸山伸一のブログです。日常の出来事(主にプライベート)、読書・映画評などを綴ります。

北アルプス~西穂高岳・独標~鎮魂の山行

 2013年9月14(土)~15日(日)、山仲間6人で北アルプス西穂高岳を目指す。 

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 ↑ 中央のピークが西穂高岳(2,909m)。右側、くっきり三角錐様にそびえるのが独標(2,701m)。さらに右の鞍部に西穂山荘がある。ロープウェーを降りた「西穂高口」展望台から撮影。ここから山荘まで徒歩1時間半。

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 昭和42年(1967年)8月1日――。当時は松本市立島立(しまだち)小学校の5年生、ただの鼻たれ小僧だった。その日の夕方だったか、翌日だったか、学校の教師たち、周囲の大人たちがざわざわ、ひそひそ、落ち着かない。担任から聞いた話では、松本深志高校の生徒が北アルプス登山中、落雷に遭い、大勢亡くなったという。これは信濃教育始まって以来の大事件なのだ、と。新聞の一面記事になっているのを見て驚いた。

 

 「西穂高岳で高校生パーティーに落雷 8人死亡、十数人けが、行方不明も」。西穂高岳登山は深志高校の毎年恒例の行事で、この年は教師と2年生計55人が参加した。うち46人が山頂まで登ったが、正午過ぎから天候が急変し、大粒の雹の混じった激しい雷雨になった。急ぎ下山中の午後1時半ころ、独標直下のガレ場を下っていたところに雷の直撃を受けた。生徒8名が即死、生徒・教員と会社員1人を含めた13名が重軽傷を負い、生徒3名が行方不明となった。

 事故発生の連絡を受けた西穂山荘からは、従業員と西穂高診療所の医師ら20人が現場に向かい、遺体と負傷者を山荘に収容した。上高地からも医師、松本からは自衛隊松本駐屯地のレンジャー隊員が救援に向かった。翌朝には長野県警と高校OBによる行方不明者の捜索が開始された。結局、尾根から300m下ったガレ場で3名とも遺体となって発見され、死者は計11人となった。日本の山岳史上に残る痛ましい事故である。

 

 その後、自分が深志高校に進むと(昭和47年入学)、同級生らから「オレのいとこが、あの事故で死んだ」とか、「あの先生が当時の山岳部の責任者」とか、いろいろな話を聞いた。学校登山のあり方が問われる事態になっている、とも聞いた。

 

 独標の遭難事故から46年が経つ。今回、いつもパーティーを組む山仲間たちと、マイカーで新穂高温泉まで入って、ロープウェーを使い、比較的歩程を少なめにして西穂高岳を目指すことにした。ただ、気になるのは台風18号の動きである。

 

 【1日目=9月14日(土)】早朝、東京組は4人、2台の車で出発、生坂村の村長、藤沢泰彦夫妻と新穂高ロープウェーの乗り口で待ち合わせし、いざ、高みへ。7分後、標高2,156m地点にある「西穂高口」駅に着き、展望台から360度のパノラマを満喫します。

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 ↑ こちらは活火山・焼岳(2,455m)方面。噴煙は上がってません。

 

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 ↑ こちらは笠ヶ岳(2,898m)、抜戸岳(2,813m)方面。カジュアルな出で立ちの若い人も多く、人気観光スポットという感じ。

 

 ここから1時間半ほど登り、午後零時半、西穂山荘に到着しました。さっそく3人は宿泊を申し込み、他の3人はテント泊を申請。
 ↓ これがテント場ですが、狭すぎです。テント泊申請した3人も、ほかのテントの隙間を縫って、ようやく張った次第。

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   さて、まだ天気のいいうちに登っておこうと、独標(2,701m)まで行ってみることに。台風の影響は、まだありません。

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 ↑ 稜線のハイマツ帯の中の道を登って行きます。

 

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 ↑ すみません、別に我が私有地というわけではないけれど…、「丸山」。

 

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 ↑ 独標直下のタフなガレ場を登る。藤澤・生坂村長の奥様、純子さんは意外と健脚、運動神経も抜群でした。(村長についてはノーコメント)

 

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 ↑ 午後3時、独標に立ちます。ガスで視界ゼロ。でも無風、暑い。

 

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 ↑ 独標から少し戻ったあたりに、事故から何年か経った後に、深志OBが据えた石板がありました。全員が手を合わせました。

 

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  ↑ 山荘への下山道で見つけた高山植物。イワツメクサでしょう。(先ごろ購入したヤマケイポケットガイド「高山の花」で調べました、エヘン)

 

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 ↑ これが西穂山荘の9月14日の夕食。1泊2食付き9,000円。布団は2枚を3人で使う、すし詰め状態でした。

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 【2日目=9月15日(日)】朝6時からの食事に間に合うよう、起床。テント組はテント撤収。夜中から風雨強まり、雲に覆われたため、ご来光、山頂行きは断念しました。

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 ↑ 午前5時半。山荘の窓からは、新穂高温泉栃尾温泉方向がはっきりと見えました。夜半の風雨も、朝方ちょっと収まりました。

 

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 ↑ これから下山します。心残りは多々ありますが、安全第一。下りてから、日帰り温泉、信州そばなどを味わう予定なので、みな“がっかり感”はなさそうです。

 

 さて、次はどこの山を目指しますかね。