まるしん's diary

丸山伸一のブログです。日常の出来事(主にプライベート)、読書・映画評などを綴ります。

スポーツ紙って面白い!?――業界誌に書きました

日本新聞協会発行の『新聞研究』12月号に、こんな駄文を書きました。 

 

 「スポーツ紙のジャーナリズム」

           報知新聞社取締役編集局長 丸山 伸一

 

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 読売新聞東京本社の論説副委員長だった昨年6月、『スポーツ報知』発行社の編集局長へ異動を命じられた。勝手が違うスポーツ紙の業界で悪戦苦闘、試行錯誤が続く1年半。そんな中、思いがけなく「スポーツ紙のジャーナリズムについて書いてほしい」と依頼があったのだが、応じてしまったことを多少後悔している。誌名にふさわしい研究論文とは違ったものになってしまった。お許し願いたい。

 一般紙にないスポーツ紙の〝売り〟は、1に「競技スポーツの感動」であり、2に「競馬などギャンブルの興奮」、3に「芸能のエンターテインメント性」であると思う。担当記者には、それぞれのジャンルで高い専門性が求められる。読者の中にはスポーツ・芸能界、その関連情報に精通し、メディアに一家言ある〝うるさ型〟も多いから、そういう人たちを黙らせるだけの取材力、そして文章力も必要だ。優れたノンフィクションなどを世に出すスポーツ・ライター、スポーツ・ジャーナリストに、スポーツ紙の出身者が多いのもうなずける。

 以下、報知にまつわる三題噺で、そのあたりを掘り下げてみたい。

 

 ●よみがえれ「激ペン」記者

 「競技スポーツの感動」が売りだとは書いたが、迫力や臨場感、速報性などの点ではナマの競技観戦や高画質でライブ中継するテレビにかなわない。従ってスポーツ紙は、異なる切り口で、読者の脳裏に感動を再生してもらえるような「記事」を競うことになる。ここでいう記事とは競技スポーツの経過・結果をニュースとして伝えるもの、それらを技術的に解説・評論するもの、アスリートたちの生き方や考え方など内面に迫るもの、および写真のたぐいの総称である。記事を通じ、記者が競技から感じた「喜怒哀楽」を、読者に共有してもらえることが理想型といえよう。

 小紙の題字が『報知新聞』だった1980年(昭和55年)4月から、プロ野球シーズンになると掲載されたコラム「激ペンです」をご存じだろうか。筆者白取晋(しらとり・すすむ)は62年、報知に入社。巨人担当など野球記者一筋に歩み、93年8月、53歳で亡くなる直前まで、巨人戦計2017試合に「激ペン」を書き続けた。その初回を紹介する。

 

 <全員、整列ビンタだ>

 巨人はこれで1勝4敗。もう130分のいくつだ、などとたわごとはいっていられない。1つの黒星を取り返すにはもう1試合が必要になる。1個の黒星は130試合から2試合を引く計算になる。3つの負け越しを取り返すためには最低3試合が必要。つまり、巨人はもう8試合を消化したと同じことだ。「130分の1だよ」などというセリフは勝ったチーム、勝ち越しているチームがいえること。5割になってようやく開幕の時点に戻ったことになる。スタートラインに戻すために消化する試合をいくつに抑えるか。簡単にいえば何試合目に5割に達するか。いまやそれが巨人の重要なポイントとなってきた。

 開幕1週間でもうこんなことを書かにゃならんとはオレもまいったぜ。この試合、一言でいえば力負け。特に指摘しなければならない敗因はない。「江川でさえ9回持たないのに、なぜ堀内をあそこまで投げさせた」という見方もあるだろうが、ベンチがいけると判断しての続投なのだからしかたがない。

 堀内を本当に復活させるために「1点差の苦しい状況で勝ち抜いてみろ」ということだったのだろう。

 だが「まだ開幕したばかり」などというのんきはもう許さん。負けられないとまなじりをけっしてやってみろ。きょうの試合で負けたら全員一列に並べて〝整列ビンタ〟を食らわすぞ。長嶋だって王だって容赦しない。(4月11日・後楽園)

 

 当時は長嶋茂雄氏の第1次監督時代。前の年、勝率4割8分3厘でリーグ5位とふがいない成績で終わったのに、今季も巨人は開幕からまだ1勝したのみで、首位の大洋に3ゲーム差を付けられている。記念すべき「激ペン」スタートの日に、怒り心頭で原稿を書くはめになった白取さん、「巨人ある限り、飲む、打つ、買うはやめても巨人ファンはやめない」と公言していた人だけに、仕事とはいえさぞ不愉快だったろう。

 それにしても、である。見出しでいきなり「整列ビンタだ」はないだろう。今だったら、各方面から「暴力、体罰を肯定するのか」と抗議が集中する。後に野球殿堂入りする監督や選手をつかまえて「容赦しない」などと脅すのも……。べらんめえ調、今なら言い換えが必要と思われる男目線の表現、不快語などが後々も登場した。

 それでも作家の井上ひさしさんをして「激ペンが何より素晴らしいのは文章。野球のコラムを超えて、日本でも珍しい良質な読み物だった」と言わしめたのは、まさに素直な喜怒哀楽を、ファンと共有できたコラムだったからに相違ない。白取さんの怒りは巨人ファンの怒り、白取さんの言葉はファンの声。ジャーナリズムに一般的に求められる客観性、公平性には欠ける(巨人ファンを公言して書いているのだから当たり前ではある)が、巨人ファンはもとより、アンチG党からも愛された。

 スポーツ報知に、あの「激ペンです」に匹敵するような名物コラムを復活させられないか。真剣にそう考えている。コラムニストの養成は、筆者在任中のマストな課題だと思っている。

 

 

 ●「裏付け」に徹した全柔連報道

 

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 (「スポーツ報知」2013年3月14日付1面)

 

 スポーツ紙の記者も、社会派ジャーナリストのように調査報道に徹することがある。その一例が全日本柔道連盟全柔連)の助成金不正受給問題を追及したキャンペーン報道である。

 編集局運動第二部の塩谷耕吾記者(34)が、関係者から助成金不正にまつわる最初のヒントを得たのは3月のある夜、都内の餃子料理屋でだったという。先輩に電話で報告すると「裏をとれ。明日にでも出すぞ」。翌日、部のデスクからは上村春樹会長(当時)への直撃取材を指示された。会長は「(プール金の存在が)事実なら裏金だ」という反応。否定はしていないが、認めたわけでもない。記者パソコンで原稿作成にとりかかった塩谷君に、待ったをかけたのは筆者である。「実際にプール金を管理していた人物の証言をとらないとダメだ」

 無表情でうなずく塩谷記者。しばらくして報告があった。「とれました。領収書も帳簿もなかったことなど実態がよくわかってきました」。「ゴー」を出す。同月14日付1面を、「全柔連 今度は裏金疑惑 助成金の一部不正徴収」の大見出しと記事が飾った。「今度は」と入れたのは、そのひと月半前に発覚した「柔道女子代表の暴力・パワハラ問題」が一段落したら、今度は――の意味を込めたものだ。記者会見した上村会長は、事実を認めた。

 塩谷記者には「裏付け取材は新たな情報キャッチと情報源を増やすことにつながる」とハッパをかけた。その後も全柔連の不祥事を次々すっぱ抜いたところを見ると、ちゃんと実践してくれたらしい。

 全柔連問題は、上村会長の進退が問われる事態にまで発展した。塩谷記者はコラムや解説記事で、「執行部は辞任し、新体制で全柔連を改革正常化すべきだ」「不正利用していた助成金は全額返還すべきだ」などと訴えた。感情的表現や修飾語を極力排し、淡々と事実を重ねる文章こそ説得力に富むことを、「入社10年目にして学んだ」と彼は言った。

 8月21日、上村氏が会長職辞任。その一報を塩谷記者は世界陸上の出張先、モスクワで聞いた。一般紙の社会部的な現場取材から、早くも本業のフィールドに戻されていた。スポーツ紙の記者はまことに忙しい。

 ところで、報知新聞社は塩谷記者の一連の特報を、2013年日本新聞協会賞のニュース部門に応募した。驚いたことに、共同通信社からも「柔道女子代表の暴力・パワハラ問題のスクープ」が同部門に申請されていた。柔道女子の日本代表級の選手が代表監督やコーチから暴力やパワハラを受けたとして、日本オリンピック委員会(JOC)に文書で告発していた事実を特報したものだ。

 共同の特報は、隠蔽体質など全柔連の組織上の問題点を世に知らしめた点で意味がある。指導と体罰の関係について、スポーツ界ばかりでなく国民的論議を巻き起こしたことも特筆されよう。反対に報知の特報は、上村会長はじめ執行部を退陣に追い込み、組織の抜本的刷新に道筋をつけさせた点で評価されてよいのではないか。JOCに加盟するすべての競技団体への助成金交付に、一層の透明化を促す効果もあったと思う。

 結局、賞は共同に行き、報知は選にもれたが、負け惜しみでなく貴重な経験をさせてもらった。埋もれた不正や犯罪をえぐり出して世に問い、社会正義の実現に資するという社会派ジャーナリズムの究極的目標に、数か月間ではあれスポーツ紙の記者が挑んだのだ。塩谷記者には7月、社長賞が授与された。

 

 ●取材相手と築く信頼関係

 この原稿を執筆中の10月30日午後、「川上哲治さん死去」の一報が飛び込んできた。現役時代は「弾丸ライナー」「赤バット」でならし、巨人の監督となるや常勝軍団を作り上げ、73年まで、前人未到の9年連続も含め史上最多の11度の日本一を達成した「野球の神様」である。大急ぎで号外を作成し、都心の主要駅でまいたが、「川上さんって誰?」と首をかしげる若者もいたそうだ。翌日のスポーツ報知には、監督時代の川上さんを知るOB記者の評伝が載った。

 今年、役員を定年退職した玉木雅治さん(64)は、V9達成の73年、初めて巨人担当になった。シーズン終了後、何人かの巨人番記者が川上監督と長嶋選手を小料理屋に呼んで、野球談議に花を咲かせた時のエピソードを書いた。その一節。

 

 <(ぐいぐい酒杯をあけて)川上は言った。「おい、長嶋。お前は来年こそ復活してみせると思っているだろうが、もう打てんよ。いくらやっても、2割5分がいっぱいだ」

 その年、長嶋は打率2割6分9厘。衰えが見えたとはいえ本塁打20本、堂々たる日本の代表スターであった。その長嶋に川上はこう続けた。「これ以上やれば、長嶋という金看板にキズがつく。だから今年限りで引退しろ。来年からは、お前が監督をやれ。私は辞める。フロントには私が話をつける」

 聞き入っていた長嶋は次の瞬間、座布団を飛ばし、畳に正座して両手をつくと、切羽詰まった声を上げた。「監督、あと1年、やらせてください。どうしてもあと1年、現役をやらせてください」。そのとき川上53歳、長嶋37歳。座敷は水を打ったように静まり返った>

 

 酒席がお開きになった後、玉木さんら記者たちは「この一件は書けないな」と話し合ったそうだ。翌年、巨人はゲーム差0ながらリーグ2位に終わり10連覇を逃した。長嶋選手は2割4分4厘の打率を残し、引退した。

 玉木さんが40年前の酒席を振り返る。「『金看板にキズ』の一言で、川上監督がどれほど長嶋選手のことを心配していたか伝わってきたよ。だが、長嶋は土下座しても選手を続けたいと言う。これはどうなるのか。白取晋さんもその席にいたけど、『生半可には書けないな』と……」。「いま書く気になったのは?」という筆者の意地悪な質問には、「あの時一緒だった記者たちが次々引退していったが、誰も書かない。川上さんを悼むきょうしか書けない話だから、(書いても)いいかなと思った」と苦笑いした。

 スポーツの歴史の一面や秘話を読者に伝えるのも、スポーツ紙記者の醍醐味であろう。後日、他紙でもOB記者がこのエピソードを書いているのを見つけ、当夜の酒席にいた記者たちの義理堅さに感服した次第である。すなわち彼らと取材相手との、信頼関係の深さを証明するものに外ならない。            (了)