まるしん's diary

丸山伸一のブログです。日常の出来事(主にプライベート)、読書・映画評などを綴ります。

さようなら、笠原さん。

 

f:id:maru7049:20130628205255j:plain

 6月28日(金)の夕方、東京・中央区の「銀座ブロッサム」というところで笠原真さんのお別れの会が開かれました。6月5日午後、がんのため、65歳という若さで亡くなった笠原さんは、長野県・旧豊科町という出身地もボクと一緒なら、松本深志高校慶應義塾大学読売新聞社会部という人生航路も同じ、いろんな意味でボクの“兄貴”でした。

 

 お別れの会で、ボクは司会を務めました。200人以上が詰めかけて、会場は笠原ファンで埋まっていました。中央の祭壇には新聞記者時代の笠原さんの笑顔の遺影。開式の前に白菊を供えたとき、目の前がぶわーーっとぼやけてしまったので、司会の席から祭壇が見えなかったのは助かりました。

 

f:id:maru7049:20130628185154j:plain

 

 故人に向けたお言葉をいただいた人たちは皆、多かれ少なかれ涙声でした。下の写真に写っている山室寛之さん、田口章利さんからも。それぞれの思いの詰まった「別れの言葉」に、笠原さんはきっと空の上から「ばかやろう、泣かせんなよ」「照れるから、もういいよ。それより飲め、飲め」とお銚子を突き出していたに違いありません。

 

 人が死ぬということは、その人を愛した人にとって、その人と過ごす大切な時間を失うということです。ちょうど1年前のゴールデンウィーク豊科町のゴルフ場で、また、豊科日赤病院の前の居酒屋で、笠原さんとお父様、山室さんと過ごした時間が限りなく貴重なものに思えます。その直後でした、笠原さんの食道に、最初のがんが見つかったのは。

 

 飯田橋の東京厚生年金病院のベッドの上で、点滴を受けながら、痛む体で叱ってくれた言葉を絶対に忘れません。「タバコはやめろよ。内視鏡で胃や腸、全部見てもらえ。お前はな、まだまだ生きて、世の中のためにしなきゃいけないことがたんとある」。ありがとうございます。即、タバコやめました。即、内視鏡検査受けました。何ができるかわかりませんが、これから社会のためにできること、一生懸命探します。

 

 笠原さん、さようなら。お別れの会の最後に、奥様の春美さんが言った、「この人と出会えたことが、私にとっては一番の幸せだった」のセリフ。素晴らしい会の司会を務めさせていただいたこと、ほんとうに光栄に思います。

                  (上二枚の写真は池田正一氏撮影)

 

 追記:下の写真は2012年12月12日、新宿・小田急サザンタワー「響」で催された「山室さんを囲む会」での一枚。唯一立ち上がっているボクの手前にいる、ロマンスグレーの酔っ払いが笠原さんです。とてもお元気そうでしたが…。合掌。

 f:id:maru7049:20121212201121j:plain