まるしん's diary

丸山伸一のブログです。日常の出来事(主にプライベート)、読書・映画評などを綴ります。

漱石『こころ』の再読と、姜尚中『心の力』

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 朝日新聞夏目漱石「こころ」の<100年ぶり連載>が終了した9月末、オピニオン面の「朝日川柳」に、こんな一首が選ばれていた。 

 ☆先生も奥様だけには言いません     千葉県 村上健 

 なるほど、漱石「こころ」に出てくる先生は、「私」宛てに遺した長い長い手紙の中で、自ら命を絶つことを選んだ理由を克明に記しているが、唯一の家族である妻(「さい」と呼ぶ)には何も語らなかった。

 なぜだろう。なぜ先生の告白の相手に「私」が選ばれたのだろう。それは、ボクが抱いた疑問の一つでもあった。

 

 遺書を読んだ「私」はその後どうなったのか

 二つめの疑問は、小説「こころ」の構成に関わるものだ。主人公たる「私」は、父親が危篤に陥り、実家に戻った折りに先生からの手紙を受け取る。「思い切ったいきおいで東京行きの汽車に飛び乗って」しまい、三等車の中でそれを読む。以降、「先生と遺書」の章で手紙の全文が綴られるのだが、それが終わると小説も幕をおろしてしまう。つまり、先生の遺書を読み終えた「私」の反応、次に来る「私」の行動、その後の「私」の生き様が何も書かれていないのだ。

 それは疑問と言うより、あれほど慕った先生から、唯一の相手として生き方、死に方を伝授(イニシエーション)されたのに、なぜ「私」のその後の人生~先生の遺書によってどのような変化が起きたのか~を書いてくれないのか、という不満でもあった。

 

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 漱石「こころ」を読み解く姜尚中「心の力」

 朝日新聞は連載の最終回に、<「こころ」をもっと知るために>のタイトルで、3冊の本を薦めている。その中の1冊、姜尚中著「心の力」(集英社新書)を、漱石「こころ」(角川文庫)を半世紀ぶりに再読した直後、手に取った。

 結論として、わが知識欲は大いに擽られた、などと言えば「うぬぼれ」の誹りを受けよう。だが、読みながら、また読み終えた後、これほど多様な人生観、世界観に関する知識を与えられ、多くのことを考えさせられた新書は久々であったというのは紛れもない事実だ。姜氏の「心の力」は、漱石の「こころ」の読み解きを手がかりにした、姜氏自身の人生論の趣がある。

 画期的なのは、その読み解きの手法である。筆者の著述上の「仕掛け」と言ってもいい。

 まず、姜氏は漱石の「こころ」に登場する「私」に、「河出育郎」という名前を付ける。そうして、育郎が先生の遺書を読んだ後、どんな人生を送ったかを「続・こゝろのタイトルで、6章にわたる物語(=創作的後日譚)に仕立て上げた。本書は、姜氏による「こころ」の読み解きと、「続・こゝろ」という物語が交互に表れる構成になっている。物語の部分は、漱石自身が書いたものではないけれど、ボクの二つめの疑問・不満に答えてくれるという意味で、貴重な「私」の後日談となるだろう。そんな思いで読み進んだ。

 

 トーマス・マン魔の山」との共通性

 「続・こゝろ」には、河出育郎の相方として、ドイツの文豪トーマス・マンの「魔の山」(1924年出版)の主人公、ハンス・カストルプという青年が登場する。何と大胆な手法だろうと思う。

 「魔の山」は、カストルプ青年が、第1次世界大戦前にスイスのアルプス山脈にあるダボス(注:現在「ダボス会議」が開かれている、あのダボスである)のサナトリウムに従兄弟を訪れるところから始まる。そこでカストルプ自身が結核にかかっていることが分かったため、その後7年にわたってサナトリウムに滞在することになるのだが、その間に、彼は大戦前のヨーロッパの縮図を構成するような様々な人物から学び成長していく――という物語だ(Wikipediaから)。

 

 姜氏が自分の物語にカストルプを登場させたのは、「魔の山」と「こころ」という二つの物語、二人の主人公~ともに平凡な青年~の共通性を物語の柱に据えようとしたためだ。すなわち「魔の山」は、「カストルプ青年が砲弾飛び交う戦場の中にいるシーンで終わっている」し、「こころ」も「私」が東京へ向かう汽車の中で読みふける先生の遺書の文章で終わっていて、「彼らは『それから』、どう生き延びたのか、それとも戦死したり、また震災(関東大震災)などで亡くなったりしたのか、まったくわからない」。その願いをマンや漱石にぶつけてみても、叶えられるわけではないので、自分で物語を創作し、二人の青年の交情を通じて、心の力の源に迫ってみたい、と言うのである。 

 

「続・こゝろ」に、育郎がこう叫ぶシーンがある。

「じゃ、私はどうなるのです。私は先生の何なんです」

 育郎は駄々っ子のように言った。

「もっとも信頼できる、唯一の相手ではないですか。唯一告白できる相手が見つかって、先生は救われたのではないですか」

 ハンスは言った。育郎は反論した。

「いえハンス、私はそういうよい解釈はできないのです。私への告白とひきかえに先生が死んだのなら、先生は私と出会わなければ生きていたわけじゃありませんか。私は先生の死期を早めたことになるじゃありませんか。あなただけに秘密を明かすと言われてもよろこべない。私は大好きな先生を救えなかった。私の気持ちはどうなるのです」

 ハンスは育郎の目を見た。

「では、先生はなぜあなたに告白したのだろう」

 

 そう、「なぜあなたに告白したのだろう」は、ボクの一つ目の疑問でもあった。姜氏は、新書の30ページ後で、その疑問に明確な答えを提示してくれる。

 さらに括目すべきは、物語の最後で、「なぜ先生は自殺したのか」という根源的疑問への答えに、育郎自身にはたと気づかせている点である。

 ――そうか……!

 いきなり憑きもの……が落ちた。 

 自分のせいだ、自分がいなければ、と長らく思い悩んでいたはずの育郎を、姜氏が作り出した物語という舞台の上で、救済してみせた瞬間だ。

 

 終章に若者への賛歌がある

 終章「今こそ『心の力』」で、姜氏は現代の若者に、こう呼びかける。

 生きづらくても、最後まで放り出さず、ぎりぎりまで踏ん張ってみてほしいのです。カストルプや河出のように。そして自分などトリエのない凡庸な、つまらない人間だなどと思い違いをしてほしくありません。

 まじめであるから悩み、その中で悩む力が養われていくのです。そしてこの悩む力こそ、心の力の源泉なのです。

 ミリオンセラー『悩む力』を上梓した姜氏なりの結論であり、またPRでもあろう。 

 息子のともしびをいつまでも…

 もう一度、新書の冒頭に戻って「はじめに」を読み返してみると、いっそう胸が熱くなる言葉と出会う。

 東日本大震災(2011年3月11日)の前、姜氏は愛する息子を亡くし、心の無重力状態に陥ったという。その後、少しずつ息子の不在という現実を受け入れていく中でも激しい悲しみに襲われ、涙が止めどなく溢れ出し、嗚咽することがあったという。

「しかし…」と姜氏。 

 私は気づいたのです。息子とのかけがえのない日々は、決して失われることなく、私の過去の中にしっかりとしまわれていると。

 父や母、恩師や親友、そして息子……。彼らは、過去になってしまいました。しかし、彼らは、ただ消滅したのではありません、生きている、過去として生きている、そして過去だけが確かに「存在」していると言えるのです。

 こう思いながら、脳裏に浮かんだのは、夏目漱石の『こころ』でした。

  息子さんの死をどう受け止めればいいのか、姜氏もまた悩み苦しんだのだ。その辛い道すがら、思い出した漱石の「こころ」を読み解く中で、答えを探していったということだろう。

 父親としての心情を吐露した、こんな一節もある。

 主人公の青年(河出育郎のこと)には、亡くなった私の息子の面影がこめられているのです。私は彼の記憶をなにがしかの形で、永遠に語り継いでいきたかったのです。「こころ」の「私」が先生の死をまるごと受け取り、その記憶を語り継いだのと同じように。私も私の中に生きている息子のともしびを、いついつまでもともしていたかったのです。 

 最愛の息子に捧ぐ 

 「在日」を背負いつつ、政治学・政治思想史の論客としてメディアでも活躍中の姜氏が、父親としてのこころを下敷きに、漱石のこころの内側に迫った。息子さんに捧げる渾身の一冊だと思う。

                      (2014年10月16日、記す)