まるしん's diary

丸山伸一のブログです。日常の出来事(主にプライベート)、読書・映画評などを綴ります。

さらに阿弖流為(アテルイ)を追って。

 『火怨』(高橋克彦著)を読んで以来、8~9世紀の蝦夷(えみし=東北地方の集落民)の英雄・阿弖流為アテルイ)に大いなる興味を持ち、7月5日からの岩手・被災地視察の際も奥州市埋蔵文化財調査センターで阿弖流為をビデオなどで学んだほどでした。さらに今回、関西出張の折りの7月14日、京都市、大阪府枚方市阿弖流為関連施設を訪ねました。

 

 京都駅で待っていて下さったのは、関西在住の松本深志高校卒業生でつくる「深志同窓会関西支部」の女性Iさん。ボクの8期後輩です。『火怨』を読んだのはボクよりずっと先で、東北からはるか離れた京都の清水寺(坂上田村麻呂が寄進)境内に、河内国(かわちのくに=大阪府東部)で802年に処刑された阿弖流為と母礼(モレ)を讃える顕彰碑があることもとっくにご存知でした。「先輩、ご案内します」のお声かけに、ありがたく応じることにしました。(↓これが清水寺境内の一角にある碑です)

 

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 祇園祭を翌日に控えた京都、暑かったです。35~36°Cはあったでしょう。タクシーを「大谷さん」で降り、はっきりと霊が感じられる墓苑をぶらぶらと清水寺へ。思ったより人通りは多く、ほとんどは中国などからの外国人観光客のようでした。清水の舞台を抜け、少し歩いたところに阿弖流為と母礼の石碑はありました。(誰も立ち止まらないのが、寂しくも思え、当たり前のようにも思えました)

 

 その後、電車に乗り約30分、枚方市の牧野公園にある阿弖流為の「首塚」に行きました。人っ子一人いない灼熱の公園に足を踏み入れると、「伝 阿弖流為、母礼之塚」と書かれた石碑の裏で、一人の老人がせっせと掃除をしています。話しかけると、なにやらたくさん語りたいことがある様子。エヘン、ここにあるのは「塚」だが、実は首をまつった(首が埋められているのかは不明)「お墓」であり、行政法上「墓」と名乗れないので「塚」となっている、ということなどを話してくれました。あげく、「近くに胴塚もあるが、あんたら、興味あるかい?」。「もちろん、あります」。歩くこと15分、自転車を曳いて中野一雄さんは、私らを竹藪の先の公園にいざなってくれました。「前に、岩手県奥州市の方々が視察に来られ、私がこの『胴塚』を案内したのだが、説明している間に、突然『あっ、今何か感じたーーっ!』と金縛り状態になってしまった人もいましたよ」と聞けば、Iさんは「わ、私は少し手前で待ってます」。<↓下の写真が、牧野公園にある首塚>

 

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 新しい情報として、中野老人は、今年9月23日、この『首塚』『胴塚』周辺で、阿弖流為と母礼の慰霊祭が行われる、と話し、「あなた方もよかったら来なさい」と誘ってくれました。 大昔の蝦夷の英雄が、現在、関西の歴史研究家、マニアらの間で脚光を浴びていること、とても嬉しく思います。

 歴史の未解明ゾーンに飛び込むことは、いつもとても楽しいです。Iさん、暑い中、改めてありがとうございました。最後に、2013年7月16日付「スポーツ報知」の「L」に書いた私のコラムをアップしておきます。これをもって、阿弖流為とは暫時お別れです。

 

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